はじめに
ディズニーのアトラクションには、それぞれ「BGS(バックグラウンドストーリー)」と呼ばれる裏の物語が設定されています。タワー・オブ・テラーに乗るとき、私たちは、ニューヨーク市保存協会が主催する「ホテルハイタワーの見学ツアー」の参加者として、1912年のホテルを訪れることになります。
前回の記事では、オーナーの失踪から13年後の1912年に、このツアーが始まるまでを追いかけました。今回は時計の針を巻き戻して、ホテルのオーナー、ハリソン・ハイタワー三世その人の物語です。
ハイタワー三世は、世界中を旅した大富豪の探険家として知られています。ただ、パーク内のプロップスや公式資料をたどっていくと、その「冒険」の多くが、各地の美術品を力ずくで持ち帰る旅だったことが見えてきます。そして最後に手に入れた像「シリキ・ウトゥンドゥ」が、彼の運命を決めることになりました。
この記事では、ハイタワー三世の生い立ちから、1899年12月31日の夜に起きた失踪事件までを年表で追いかけます。
タワー・オブ・テラーは2026年9月28日から11月5日まで休止中です。乗れないあいだに物語を予習して、再開したらぜひ、プロップスを確かめてみてください。
ざっくりわかるタワテラのBGS:失踪の夜まで
- 1835年、ニューヨークの大実業家の家に生まれたハイタワー三世は、強引な商売で巨万の富を築き、世界各地を探険しては美術品を持ち帰るようになる
- 1892年、自宅を増築したホテルハイタワーが開業。1899年にはコンゴ川流域の探険で、呪いの偶像「シリキ・ウトゥンドゥ」を手に入れる
- 1899年の大みそか、像の呪いを笑い飛ばしたハイタワー三世は、像を手にエレベーターへ。新年を迎えた瞬間、エレベーターが落下し、彼は姿を消した
この記事の登場人物
- ハリソン・ハイタワー三世:ホテルハイタワーのオーナー。大富豪で探険家
- スメルディング:ハイタワー三世の執事。1867年のエチオピア探険で出会い、以後の旅に同行する
- コーネリアス・エンディコット三世:ハイタワー三世の宿敵。学生時代からの犬猿の仲
- ベアトリス・ローズ・エンディコット:コーネリアスの娘。のちのニューヨーク市保存協会の会長
- マンフレッド・ストラング:ニューヨーク・グローブ通信の駆け出し記者。1899年の事件の夜、ホテルにいた
- シリキ・ウトゥンドゥ:コンゴ川の流域に住むムトゥンドゥ族が祭壇に祀っていた偶像。スワヒリ語で「災いを信じよ」という意味
年表:生い立ちから失踪の夜まで(1835〜1900年)
出典の記号:【P】パーク内のプロップス、【公】公式携帯サイト「タワー・オブ・テラーの謎」(2013年時点の保存版)、【ブ】公式ブログ、【絵】『海の絵本』、【図】『くわしすぎる大図鑑』、【辞】『魔法のディクショナリー』
1835年
ハリソン・ハイタワー三世、ニューヨークで運輸業界の大実業家の息子として生まれる
出典:【絵】
1845年
10歳。頭は良いが素行が荒く、教育のためイギリスの学校へ送られる
出典:【絵】
1852年
17歳。コーネリアスが絡んだ事件で退学し、イギリスの商船に乗り込む
出典:【絵】
1855年
20歳。実家に連れ戻されて商船を任され、数年で巨万の富を築く。やがて自分の会社を興し、父親と競合する
出典:【絵】
1861年
26歳。南北戦争が始まる。自社の船で南北両軍に武器や物資を運び、大儲けする
出典:【絵】
1862年〜
5年かけて世界を放浪し、考古学や探険に傾倒する。老齢の探険家の収集品を盗んだこともあった
出典:【絵】
1867年
32歳。エチオピアを探険し、スメルディングと出会う
出典:【絵】
1870年
35歳。両親が死去。遺産から外されていたが、弁護団を雇って遺言を覆し、父の会社を自社と合併する。パークプレイス1番地に居を構える
出典:【絵】
1874年
39歳。日本・中国・モンゴルなどアジアを探険。カンボジアでは寺院の一部を打ち砕いて持ち帰る
出典:【絵】
1877年
42歳。ハイタワー邸の大改装を始める。暖炉の装飾には、カンボジアの寺院の一部を使う
出典:【絵】
1878年〜1887年
中東、ヨーロッパ、アフリカ、オセアニア、地中海、中央アメリカ、インド、エジプトなどへ探険を続ける
出典:【絵】【図】
1883年11月4日
コーネリアスの父(二世)が、ニューヨーク・グローブ・テレグラフ紙の社屋を建てる(定礎)
出典:【P】【辞】
1884年1月5日
インド遠征を題材にした少年雑誌が刊行される。表紙は「タマスの野獣を手なずけよ!」
出典:【P】【辞】
1886年
51歳。自宅をホテルにする計画を始める。雇ったロシア人建築家とは仲たがいする
出典:【絵】【ブ】
1889年
ホテルの建設が始まる(ハイタワーの名前と1889年の年号を刻んだ石が残る)
出典:【P】【絵】【ブ】
1892年1月24日
ホテルハイタワーが開業。ハイタワー三世はアフリカゾウに乗ってパレードし、カトラス(刀)でテープカット。コーネリアスは招待されなかった
出典:【P】【絵】【辞】
1899年1月
ヨット「ハイタワー・プライド号」でフランス領コンゴのロアンゴ港へ向かい、コンゴ川流域の探険を始める
出典:【P】【絵】
1899年7月16日
探険隊の多くを失いながら川を遡り、ムトゥンドゥ族の村にたどり着く
出典:【P】【絵】
1899年
ムトゥンドゥ族が祀っていた偶像「シリキ・ウトゥンドゥ」を、首長に断られたうえで力ずくで奪う
出典:【P】【公】【絵】【図】【辞】
1899年12月19日
新聞に、ハイタワー三世のもとから届いた探険記が掲載される。12月28日ごろにヨットで帰還し、大みそかに像を披露する特別パーティーを開くと予告
出典:【P】【辞】
1899年12月22日
コンゴ探険の記録『ハリソン・ハイタワー三世 真実の冒険物語』が出版される。著者はチェスター・ファリントン・ウールプール
出典:【絵】【辞】
1899年12月31日
記者を前に、シリキ・ウトゥンドゥの呪いを馬鹿にする発言を繰り返す
出典:【公】【絵】【図】
1899年12月31日 午後11時45分
像を手に一人でエレベーターに乗り込む。これが最後の目撃となる
出典:【公】【絵】【ブ】
1900年1月1日 午前0時
タワーの窓から緑色の閃光が走り、エレベーターが落下。ハイタワー三世は行方不明に。残されていたのは像だけ、またはフェズ帽と像(資料によって異なる)
出典:【P】【公】【絵】【図】
※「1899年」の行(像を奪う)は、公式資料に月の記載がありません。7月16日に村へたどり着いたあとの出来事なので、その後ろに置いています。また、「1878年〜1887年」は期間の出来事のため、その期間中の日付がわかる出来事(1883年、1884年)より前にまとめて置いています(いずれも筆者の判断による並びです)。
読み解き1:乱暴者の少年と、宿敵との出会い
ハイタワー三世は1835年、ニューヨークで運輸業界の大実業家の息子として生まれました。頭は良いものの素行が荒く、10歳のときに教育のためイギリスの学校へ送られますが、そこでも乱暴者として知られていたようです。
17歳のとき、ある事件をきっかけに学校を退学します。『海の絵本』によると、この事件には同級生だったコーネリアス・エンディコット三世が絡んでいました。同書に収められた読み物(記者ストラングが書いたハイタワー三世の記事の原稿、という設定)には、学生時代のハイタワー三世が、大量の糊と山羊を使ったいたずらでコーネリアスをひどい目にあわせたと書かれています。ただしこのくだりは、ストラングが原稿から赤ペンで消した部分として載っていて、コーネリアス本人も詳しく語りたがらないそうです。のちにニューヨーク一の富を争う2人の因縁は、ここから始まっていました。
退学したハイタワー三世は実家には戻らず、イギリスの商船に乗り込みます。20歳で連れ戻されて商船を1隻任されると、強引な商売で数年のうちに巨万の富を築きました。南北戦争では、徴兵をお金で逃れたうえ、自社の船で南軍と北軍の両方に武器や物資を運んで大儲けしたとされています。
読み解き2:「探険」という名の略奪
27歳ごろから、ハイタワー三世は世界を放浪し、考古学や探険にのめり込んでいきます。『海の絵本』によると、この放浪中には、老齢の探険家の収集品を盗んだこともあったそうです。1867年のエチオピア探険では、のちに執事として旅に同行するスメルディングと出会っています(同書)。
ただ、彼の探険は、各地の美術品を持ち帰る旅でもありました。『海の絵本』によると、1874年のカンボジアでは寺院の一部をつるはしで打ち砕いて持ち帰り、1877年に始めた邸宅の大改装で、暖炉の装飾に使っています。ホテルのロビーに飾られた壁画には、日本で鎧と刀を盗み出し、人力車で逃げる場面も描かれているそうです(公式ブログ)。
ホテルのロビーの一画には、石を積み上げた大きな暖炉があります。両脇には守り神のような顔の像が置かれ、上にはハイタワー三世の肖像画が掛けられています。公式ブログによると、ロビーを含むホテル正面の低い部分は、もとはハイタワー家の邸宅だったそうです。『海の絵本』に登場する、カンボジアの寺院の一部を使った暖炉は、これのことでは……と勘ぐってしまいますが、あくまで筆者の推測です。

ロビーの一画にある暖炉。暖炉カバーには「高塔」の文字が入っている
ちなみに、暖炉の前の黒いカバーには「高塔」という文字が入っています。『魔法のディクショナリー』によると、「高い=high」「塔=tower」で「ハイタワー」になるそうです。
記者ストラングの原稿という形で収められた『海の絵本』の読み物には、ハイタワー三世が世界各地の文化的遺産を「盗み――失礼、持ち帰っている」と、わざとらしく言い直す一文があります。彼のモットーは「原始美術は原始的な人々によって無駄にされている」。価値のわからない人々の手から救い出すのだ、という理屈で、持ち去ることを正当化していたわけです。『魔法のディクショナリー』は、これを傲慢な主張と評しています。

モアイ像を船に載せて運び去るハイタワー三世と、岸から追いかける人々(ロビーの壁画)
インドから持ち帰った巨大な像は、今もホテルの「秘密の倉庫」に吊るされています。『くわしすぎる大図鑑』によると、これは「タマス像」と呼ばれる像で、タマスはサンスクリット語で「闇」などを意味するそうです。

秘密の倉庫。右奥の壁に掛かっているのがタマス像
こうした冒険は、少年向けの雑誌で英雄譚として描かれました。キューラインの掲示板には、ハイタワー三世の「偉業」を子どもたちと分かちあう人気冒険雑誌として、3冊の少年雑誌が飾られています。

キューラインの掲示板に飾られた少年雑誌
なかでも、1884年1月5日発行の『ハイタワーズ・アドベンチャー・コープス・フォー・ボーイズ』の表紙は「タマスの野獣を手なずけよ!」。『魔法のディクショナリー』によると、表紙に描かれた巨大な頭部像は、秘密の倉庫に吊るされている像と同じとされ、掲示板には1884年のインド遠征で撮られた写真も貼られています。表紙では、憎しみに目を光らせる人々を前に、ハイタワー三世が「この獣は私のものだ」と言い放っています。
1887年の『ハイタワーズ・タワリング・テールズ・フォー・ボーイズ』の舞台は日本です。「ニューヨークから来た忍者」という見出しのもと、鎧兜姿のハイタワー三世が人力車に揺られ、草履をはいたスメルディングが車夫を務めています(同書)。
読み解き3:ホテルハイタワーの誕生
1870年に両親が亡くなると、ハイタワー三世は遺産から外されていたにもかかわらず、弁護団を雇って遺言を覆し、父の会社を自分の会社と合併させます。こうして巨大企業を築いた彼は、パークプレイス1番地に居を構えました(『海の絵本』)。1892年の新聞では、彼は「パーク・プレイスのドラゴン」と呼ばれています。
1886年には、自宅をホテルにする計画を始めました。公式ブログによると、ロビーを含むホテル正面の低い部分は、もとはハイタワー三世の父が建てた邸宅だったそうです。そこに世界各地の様式を取り入れて、増築を重ねていきました。『海の絵本』では、雇ったロシア人の建築家と仲たがいしたとされ、公式ブログでも、控えめで上品な趣味の建築家は気に入らずに解雇し、室内プールなどの内装は自らデザインしたと紹介されています。キューラインに飾られた1890年の建設現場の写真には、建築家オスカー・キルノフスキー、現場監督ジョー・コブと並んで、図面を手にするハイタワー三世の姿があります。
ちなみに、ハイタワー三世が自ら手がけたその室内プール「ラジャーズ・プール」は、今はツアーの出口にあるショップ「タワー・オブ・テラー・メモラビリア」になっています。飛び込み台が商品棚として使われているなど、プールだったころの名残を探せるので、詳しくはこちらの記事でどうぞ。

建築家オスカー・キルノフスキー、現場監督ジョー・コブとホテルの建設現場を視察するハイタワー三世(1890年)
ホテルハイタワーの外壁の足元には、「THE TALLER WE STAND / THE NEARER THE STARS(高く立つほど、星に近づく)」という言葉と、ハリソン・ハイタワーの名前、そして建設が始まった1889年の年号が刻まれた石があります。ニューヨークの空にそびえるホテルを建てた、彼らしい言葉です。

ハリソン・ハイタワーの名前と1889年の年号が刻まれた石
あの独特な外観にも、ハイタワー三世らしい理由があります。公式ブログによると、ホテルがほぼ完成してから自室を広げたくなった彼が部屋の端を張り出させ、釣り合いを取るために反対側にも張り出しを付けたことが、「ハンマー」のような形の由来だそうです。『くわしすぎる大図鑑』は、ハンマーの形には「あらゆる物を打ち砕く」という意味があるようだ、と解説しています。
1892年1月24日、3年の工事を経てホテルハイタワーが開業します。ハイタワー三世はアフリカゾウに乗ってパレードし、カトラス(刀)でテープカット。夜はアトランティス・ボールルームで舞踏会が開かれ、大統領ベンジャミン・ハリソンら名士が招かれました。もっとも、翌日のニューヨーク・グローブ・テレグラフ紙によると、大統領は自分の部屋へ直行して、そのまま朝まで眠っていたそうです。一方で、宿敵コーネリアスには招待状が届かなかったとされています。

ホテルハイタワーの開業を報じる1892年1月25日付のニューヨーク・グローブ・テレグラフ紙
ちなみに、前回の記事で紹介した宿敵コーネリアスのS.S.コロンビア号の処女航海(1912年3月20日)には、タフト大統領とセオドア・ルーズベルト元大統領がそろって出席しています。ルーズベルト元大統領は2時間半の演説で、コーネリアスを「真の先見の人」とたたえました。部屋で寝ていた大統領とは、ずいぶんな違いです。

S.S.コロンビア号の処女航海で、楽団と並ぶタフト大統領とルーズベルト元大統領
実はこの新聞、ホテルの開業より前からエンディコット家のものでした。アメリカンウォーターフロントのブロードウェイ・ミュージックシアターの隣にあるグローブ・テレグラフ社の建物には、1883年11月4日付の定礎板があり、発行人としてコーネリアスの父、コーネリアス・エンディコット二世の名前が刻まれています(『魔法のディクショナリー』)。宿敵の家の新聞が、開業の記事で大統領の居眠りや入口で起きた小さな騒動まで書き立てたのは、当てつけだったのでは……と勘ぐってしまいますが、あくまで筆者の推測です。
読み解き4:シリキ・ウトゥンドゥは「贈られた」のか「奪われた」のか
1899年1月、ハイタワー三世はヨット「ハイタワー・プライド号」でフランス領コンゴのロアンゴ港へ向かい、コンゴ川流域の探険を始めます。同行したのは、スメルディングのほか、武装した部下18人、写真家3人、料理人1人、通訳1人、現地のポーター30人。5月までに隊員の3分の2を失いながらも川を遡り、7月16日、ムトゥンドゥ族の村にたどり着きました(『海の絵本』、1899年12月19日付の新聞)。
ここで手に入れたのが、ムトゥンドゥ族が祭壇に祀っていた偶像「シリキ・ウトゥンドゥ」です。公式携帯サイトによると、「シリキ・ウトゥンドゥ」はスワヒリ語で「災いを信じよ」という意味。崇拝すれば守り神になるものの、少しでも扱い方を誤ると、持ち主に厄災をもたらすと言われています。
では、ハイタワー三世はこの像をどうやって手に入れたのでしょうか。キューラインに貼られた1899年12月19日付のニューヨーク・グローブ・テレグラフ紙には、ハイタワー三世と首長が像を手にした写真が載っています。説明文は「1899年、ムトゥンドゥ族のキジャンジ首長が、ハリソン・ハイタワーに『シリキ・ウトゥンドゥ』を与える」(『魔法のディクショナリー』の訳)。見学ツアーでキャストが紹介するのと同じ写真です。

1899年12月19日付のニューヨーク・グローブ・テレグラフ紙。「ハイタワー三世本人から速達で届いた」という編集者の注記が載っている
ところが、同じ紙面の探険記を読むと、話はまったく違います。像を手放そうとしない首長を前に、ハイタワー三世は力ずくで奪うしかなかったと書かれていて、合図とともに隊員たちが隠し持っていた武器を抜いています。像の金属片で手を切ったハイタワー三世の血を見て、首長はかすかに笑ったようだった、とも。写真は「与える」、本文は「奪った」。同じ新聞の同じ面で、話が食い違っているわけです。
『海の絵本』にも同じ場面が描かれています。ハイタワー三世はビーズや小型ナイフ、自分の杖との交換を持ちかけますが、首長に断られ、力ずくで像を奪いました。公式携帯サイトも、買収を拒否されたため武力で奪ったと説明していて、像を失ったムトゥンドゥ族は、その後ほかの部族に滅ぼされたそうです。
この探険記の筆者「’Tiger’ Harrownashio」について、『魔法のディクショナリー』は、探険に同行して一部始終を知っていることや、ハイタワー三世をたたえる論調から、正体はスメルディングとも推察できる、としています。スメルディングがチェスター・ファリントン・ウールプールというペンネームで主人の冒険を本にまとめていた、という噂もあるそうです。『海の絵本』に登場するコンゴ探険の本『ハリソン・ハイタワー三世 真実の冒険物語』の著者も、このウールプールです。
ちなみに英語には「pull the wool over someone’s eyes(人の目に羊毛をかぶせる=人をだます)」という言い回しがあります。主人の冒険を世に広めた人物の名前「ウールプール」は、これをもじったものでは……と勘ぐってしまいますが、公式の説明は見当たらず、あくまで筆者の推測です。
写真では「与えられた」ことにしておきながら、本文では奪った経緯を隠そうともせず、冒険談として語っている。ハイタワー側にとって、像を奪ったことは恥ではなく武勇伝だったのでは……と勘ぐってしまいますが、あくまで筆者の推測です。
なお、『魔法のディクショナリー』には、ムトゥンドゥ族が呪いの像を手放したくて、わざと奪わせたという話も紹介されています。血を見てかすかに笑う首長の姿を思い浮かべると、奪ったつもりのハイタワー三世のほうが、まんまと呪いを押しつけられたのかもしれません。
読み解き5:1899年12月31日の夜
12月下旬、ヨットはニューヨークへ戻りました(新聞では、12月28日ごろの帰還予定と報じられていました)。大みそかのホテルでは、コンゴ遠征からの帰還と新年を祝うパーティーが開かれます。
記者を前にしたハイタワー三世は、シリキ・ウトゥンドゥの呪いを馬鹿にする発言を繰り返しました。『くわしすぎる大図鑑』によると、「呪いの偶像だって? バカバカしい」と一笑に付し、像にタバコの火を押しつけたともされます。この最後の記者会見の音声は、プライベートオフィスの蓄音機に録音されています。
午後11時45分、招待客でにぎわう広間から、ハイタワー三世が像を手にエレベーターへ向かいます。『海の絵本』によると、執事のスメルディングに像を丁寧に扱うよう警告されますが、彼はにやりと笑って像に葉巻を押しつけ、一人でエレベーターに乗り込みました。これが、ハイタワー三世の最後の姿になります。会場には、駆け出し記者のストラングもいました。
葉巻といえば、1899年12月19日付の新聞の探険記と『海の絵本』によると、ムトゥンドゥ族の歓迎の宴で、ハイタワー三世は葉巻の火を消すように頼まれています。『海の絵本』では、素直に従ったとされています。その像に、最後は葉巻を押しつけて火を消したわけです。呪いの引き金を引いたのは、この一押しだったのでは……と勘ぐってしまいますが、あくまで筆者の推測です。
前回の記事でも触れたように、この夜はベアトリスもホテルにいました。ストラングの記憶によると、当時16歳か17歳で、ペールピンクのドレスを着ていて、夜10時すぎに母親に連れられてホテルを出たそうです(『海の絵本』)。
開業のときには宿敵コーネリアスを招かなかったハイタワー三世のホテルに、なぜその娘がいたのかは、どの資料にも書かれていません。幼いころからハイタワー三世に憧れていたベアトリスが、像のお披露目を見たくて母親にせがんだのでは……と勘ぐってしまいます。ストラングが「お母様があなたをホテルから連れ出す」のを見たと言っているのも、本人はまだ帰りたくなかったように読めますが、あくまで筆者の推測です。
補足 当日の新聞によると、街では人々が屋根の上や公園に集まり、乾杯と「Auld Lang Syne(蛍の光)」の合唱で新世紀を迎えようとしていました。日本では卒業式や閉店のイメージが強い曲ですが、もとはスコットランド民謡で、英語圏では新年のカウントダウンで歌う定番の曲です(『魔法のディクショナリー』)。パーク内の新聞では、綴りが「Auld Lang Sine」になっているのも細かいところです(一般的な綴りは「Syne」)。ちなみに東京ディズニーランドのカントリーベア・シアターでは、ビッグアルもこの曲を歌っています。
そして午前0時ちょうど。当日の新聞によると、タワーの窓から緑色の閃光が走り、正面のアーチ窓が轟音とともに外へ吹き飛びました。爆発でケーブルが切れたエレベーターは、14階分落下して地下で大破したと報じられています。残骸の中にハイタワー三世の姿はなく、パーク内の掲示板の説明によると、見つかったのは彼のフェズ帽と、シリキ・ウトゥンドゥだけでした(『海の絵本』などでは像だけ)。

失踪を報じる1900年1月1日付のニューヨーク・グローブ・テレグラフ紙


失踪を報じる世界各国の新聞。左下のプレートには、壊れたエレベーターに残っていたのはフェズ帽と像だけだったと書かれている
掲示板には、ロンドン、パリ、ミュンヘン、ローマ、バルセロナ、東京の新聞が並び、世界中が失踪を報じたように見えます。ところが、よく見ると新聞の名前は、ロンドンが「The London Globe Telegraph」、パリが「Global de Télégraphe」、ローマが「Globale del Telegrafo」、バルセロナが「Global del Telégrafo」。ミュンヘンの新聞も、ドイツ語で「世界電信新聞」といった意味の名前です。どれも「グローブ・テレグラフ」の各国語版のような名前なのです。グローブ・テレグラフ社の建物の看板にも「ALSO PUBLISHER OF」として、フランス語やドイツ語、イタリア語、スペイン語などの新聞の名前が並んでいて、『魔法のディクショナリー』は、移民の街ニューヨークらしく各国語の新聞を発行していたようだ、と解説しています。世界中が騒いだように見えるこの失踪報道も、実はかなりの部分がエンディコット家の新聞だったのかもしれません(筆者の推測)。
市は原因がわかるまでホテルを閉鎖します。当日の新聞にも「ホテルハイタワー、一般公開を停止」の見出しが躍りました。ロンドンの新聞は、残骸からハイタワー三世が見つからなかったことについて、無傷で逃げたのか、そもそもエレベーターに乗っていなかったのか、どちらかだろうと書いています。容疑者は大勢いたものの全員にアリバイがあり、警察は単なる事故と気まぐれな失踪として処理しました。ここから、前回の記事で紹介した「閉ざされた13年」が始まります。
補足 ドックサイドダイナーのトイレへ続く通路の掲示板には、1894年3月31日付で、ニューヨークのポスタル電信ケーブル社が、スプレーグ電動エレベーター社のフランク・J・スプレーグに宛てた手紙が貼られています。ビルに取りつけた電動エレベーターについて、「ほかのどの方式でもなく、あなたの方式を採用したのは幸いだった」と感謝する内容です。スプレーグは実在の技術者で、彼が開発した電動エレベーターは、水圧式などより速く、重い荷物も運べるのが強みでした。その1号機が設置されたのが、まさにこのポスタル電信ビルです。ホテルハイタワーのエレベーターがどの方式だったかは資料にありませんが、あの事件は、エレベーターが最先端の技術だった時代に起きた出来事だったわけです。

ドックサイドダイナーの通路に貼られた、1894年のスプレーグ宛ての手紙
資料による食い違い
ハイタワー三世の物語は、資料によって細かな部分が少しずつ違います。主なものをまとめました。
| 項目 | 資料A | 資料B |
|---|---|---|
| 像の入手方法 | 1899年12月19日付の新聞の写真説明文:首長が与えた | 同じ新聞の本文・『海の絵本』・公式携帯サイト:力ずくで奪った |
| 呪いを馬鹿にした場面 | 『海の絵本』:昼の記者会見 | 公式携帯サイト・『風間俊介ガイドブック』:夜の帰還パーティーの場 |
| 像に押しつけたもの | 『海の絵本』:葉巻 | 『くわしすぎる大図鑑』:タバコの火 |
| 残されていたもの | 『海の絵本』・公式携帯サイト:像だけ | パーク内の掲示板の説明、『くわしすぎる大図鑑』『魔法のディクショナリー』『風間俊介ガイドブック』:フェズ帽と像 |
| エレベーターの落下 | 1900年1月1日付のニューヨーク・グローブ・テレグラフ紙(パーク内):14階分落下して地下で大破 | 公式携帯サイト:1階まで落下(『海の絵本』は「下の階」) |
| 乗ったエレベーター | 1900年1月1日付のニューヨーク・グローブ・テレグラフ紙:ホテルのメインエレベーター(当初の報道として) | 同日付のロンドンの新聞:自室に通じる専用エレベーター |
入手方法のように同じ新聞の中で食い違っているものもあれば、新しい資料で設定が加わったと考えられるものもあります。
ファンの間で知られている話(未確認)
- 1897年2月2日、ストラングがエンディコット邸を訪れ、14歳のベアトリスと初めて会う
- 1899年、スメルディングが瞑想の庭園で17歳のベアトリスの絵を描く
どちらも公式資料では確認できていないため、年表には載せていません。なお、キューラインにはスメルディングが描いたとされるベアトリスの絵が飾られていますが、絵に年や年齢の書き込みは見当たりませんでした。ちなみに『海の絵本』では、1899年の大みそかのベアトリスは「16歳か17歳」とされています。
あわせて読みたい
失踪のあと、1912年に見学ツアーが開かれるまでの物語は、前回の記事で紹介しています。ツアーの出口にあるショップ「タワー・オブ・テラー・メモラビリア」のBGSはこちら。
もっと詳しく知りたい人へ
この記事の年表は、おもに次の2冊を参考にしています。タワー・オブ・テラーの物語をもっと深く知りたい人は、ぜひ手に取ってみてください。
出典一覧
- パーク内のプロップス(筆者撮影)
- 東京ディズニーリゾート公式ブログ(2014年2月24日、2019年4月18日、2020年6月29日、2020年8月24日、2021年9月3日)
- 東京ディズニーリゾート公式携帯サイト「タワー・オブ・テラーの謎」(2013年時点の保存版)
- 講談社編『海の絵本』(講談社、2006年)
- 講談社編『もっと知りたい!東京ディズニーシー くわしすぎる大図鑑』(講談社、2025年)
- 『東京ディズニーリゾート 魔法のディクショナリー 英語と文化の深掘りガイド』(講談社、2023年)
- 『Disney Supreme Guide 東京ディズニーシーガイドブック with 風間俊介』(講談社、2023年)
- スプレーグの電動エレベーター:Wikipedia「Frank J. Sprague」(英語)


コメント