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タワー・オブ・テラーのストーリー年表|見学ツアーはなぜ開かれた?【BGS解説】

BGS(ストーリー・設定)

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はじめに

ディズニーのアトラクションには、それぞれ「BGS(バックグラウンドストーリー)」と呼ばれる裏の物語が設定されています。建物の外観やキューラインの小物、乗り物の仕掛けまで、細かなところがこの物語に沿って作られています。

タワー・オブ・テラーに乗るとき、私たちは、ニューヨーク市保存協会が主催する「ホテルハイタワーの見学ツアー」の参加者になります。大富豪で探険家のハリソン・ハイタワー三世が建てたこのホテルは、オーナーの謎の失踪をきっかけに閉ざされ、いつしか「恐怖のホテル」と呼ばれるようになりました。

では、なぜ閉ざされたホテルで、今になってツアーが開かれることになったのでしょうか。その裏には、ニューヨーク一の富を争った2人の実業家と、父に逆らってホテルを守ろうとした一人の娘の物語があります。

この記事では、パーク内のプロップスや公式資料をもとに、ツアーが始まるまでの出来事を年表で追いかけます。

なお、アメリカンウォーターフロントのニューヨークエリアは、公式には「20世紀初頭」の街とされていて、特定の年は決められていません。一方、タワー・オブ・テラーの物語では、ツアーが始まるのは1912年とされています。この記事の年号は、タワテラの物語の中での年号です。

タワー・オブ・テラーは2026年9月28日から11月5日まで休止中です。乗れないあいだに物語を予習して、再開したらぜひ、プロップスを確かめてみてください。

ざっくりわかるタワテラのBGS:ツアーが開かれるまで

  • 1899年の大みそか、ホテルハイタワーのオーナー、ハイタワー三世がエレベーターの落下とともに謎の失踪。ホテルは閉ざされ、「恐怖のホテル」と呼ばれるようになる(事件の夜の詳しい経緯は次回の記事で紹介します)
  • 1912年、失踪後に放置されていたホテルハイタワーを、ハイタワー三世の宿敵コーネリアスが取り壊そうと計画。しかし、ハイタワー三世に憧れていたコーネリアスの娘ベアトリスがこれに反対し、ニューヨーク市保存協会として保存に動く
  • 1912年9月、協会によるホテルの見学ツアーが始まる。私たちはこのツアーの参加者として、最上階へ向かうエレベーターに乗り込む

この記事の登場人物

  • ハリソン・ハイタワー三世:ホテルハイタワーのオーナー。1899年の大みそかに失踪
  • コーネリアス・エンディコット三世:S.S.コロンビア号を所有する船会社「U.S.スチームシップカンパニー」と、新聞社「ニューヨーク・グローブ通信」のオーナー。ハイタワー三世とは学生時代からの犬猿の仲
  • ベアトリス・ローズ・エンディコット:コーネリアスの娘で、ニューヨーク市保存協会の会長
  • マンフレッド・ストラング:ニューヨーク・グローブ通信の記者。1899年の事件の夜、ホテルにいた
  • シリキ・ウトゥンドゥ:ハイタワー三世がコンゴから持ち帰った像。スワヒリ語で「災いを信じよ」という意味

年表:失踪からツアー開始まで(1900〜1912年)

出典の記号:【P】パーク内のプロップス、【公】公式携帯サイト「タワー・オブ・テラーの謎」(2013年時点の保存版)、【絵】『海の絵本』、【図】『くわしすぎる大図鑑』、【史】史実(参考)

1900年1月1日

ニューヨークをはじめ世界各国の新聞が失踪を報じる。ホテルは閉鎖され、ニューヨーク市建築安全局の命令で立ち入りが禁止される

出典:【P】【図】

1900〜1912年

ホテルは13年間閉ざされ、いつしか「タワー・オブ・テラー(恐怖のホテル)」と呼ばれるようになる。像も長いあいだ行方不明に

出典:【公】

時期不明

ストラングがグローブ通信で失態を演じて解雇され、のちに復職

出典:【絵】

1907年5月

コーネリアスがS.S.コロンビア号の設計に着手。ベアトリスが乗客用スペースの設計を任される

出典:【P】

1909年9月16日

コーネリアス72歳の誕生日に、S.S.コロンビア号の建造が始まる

出典:【P】

1911年4月

S.S.コロンビア号の進水式。ベアトリスが船首にシャンパンのボトルを割りつける大役を務める

出典:【P】

1912年(7月より前)

コーネリアスがホテルを取り壊し、「エンディコットグランドホテル」を建てる計画を進める。ベアトリスはこれに反対

出典:【公】【絵】【図】

1912年(7月より前)

ニューヨーク市保存協会が設立される

出典:【図】

1912年3月20日

S.S.コロンビア号がリバプールへ向けて処女航海に出発

出典:【P】

1912年4月10日〜15日

(参考)史実のタイタニック号がサウサンプトンからニューヨークへ向けて出航し、4月15日に沈没

出典:【史】

1912年7月

ストラングがベアトリスにインタビュー。9月からの見学ツアーの計画が明かされる

出典:【絵】

1912年9月

ニューヨーク市保存協会による見学ツアーが始まる

出典:【公】【絵】【図】

※「1912年(7月より前)」の2行は、公式資料に月の記載がありません。7月のインタビューの時点で、協会がすでに9月からのツアーを計画していること(【絵】)から、7月より前の出来事だとは言えますが、1〜6月のどの時点かはわかりません。そのため、1912年の出来事の先頭にまとめて置いています(3月のコロンビア号の就航より前だという意味ではありません)。また、取り壊し計画は協会が保存に動くきっかけになった出来事なので、協会の設立より前に並べました(いずれも筆者の推測による並びです)。

読み解き1:閉ざされた13年

事件の翌日、ニューヨークの新聞は1面で失踪を伝え、ロンドンやパリ、東京の新聞までもが「ハイタワーはどこへ?」と書き立てました。キューラインの掲示板には、世界各国の新聞がずらりと貼られています。

その後ホテルは閉ざされ、13年のあいだ誰も住まない廃墟になりました。『くわしすぎる大図鑑』によると、入口には今も、ニューヨーク市建築安全局の命令による立ち入り禁止の看板が残されているそうです。人々がこのホテルを「タワー・オブ・テラー(恐怖のホテル)」と呼ぶようになったのは、この時期のことです。エレベーターに残されていた像も、長い年月のうちに一度は行方がわからなくなったとされています。

読み解き2:父の絶頂 ― S.S.コロンビア号の就航

一方、ハイタワー三世の宿敵コーネリアスは、この時期に人生の絶頂を迎えます。1912年3月、彼の船会社が3年がかりで造った豪華客船S.S.コロンビア号が、処女航海に出発したのです。

パーク内に飾られた新聞によると、就航の式典にはセオドア・ルーズベルト元大統領が駆けつけ、2時間半の演説でコーネリアスを「真の先見の人」とたたえました。これらの新聞は、S.S.コロンビア号の船内にあるアトラクション「タートル・トーク」のキューラインに飾られています。タワー・オブ・テラーの休止中でも見に行けるので、ぜひ探してみてください。

ただし、この新聞をよく見ると、発行しているのはコーネリアス自身の新聞社です。自分の船の晴れ舞台を、自分の新聞で大々的に報じていたわけですね。

補足 コロンビア号の処女航海から3週間ほど後の1912年4月10日、史実のタイタニック号がイギリスのサウサンプトンからニューヨークへ向けて出航し、4月15日に沈没しています。パークの物語と同じ年、同じ大西洋航路での出来事です。

ちなみに、映画『タイタニック』(1997年)のヒロイン・ローズは、アメリカの陶芸家ベアトリス・ウッドから一部着想を得たと、ジェームズ・キャメロン監督自身が語っています。「ベアトリス・ローズ」という名前も、この2人へのオマージュでは?と勘ぐってしまいますが、ディズニーの資料では確認できておらず、あくまで筆者の推測です。

読み解き3:父と娘の対立

コロンビア号の豪華な客室や乗客用スペースを手がけたのは、娘のベアトリスでした。1911年の進水式では、船首にシャンパンのボトルを割りつける大役も務めています。この時点では、父の事業を支える右腕だったと言えます。

ところがコーネリアスが、閉鎖されたホテルハイタワーを取り壊し、跡地に「エンディコットグランドホテル」を建てようとしたとき、ベアトリスはこれに反対します。ホテルの建築や芸術としての価値を訴え、ニューヨーク市保存協会の会長として保存に動いたのです。『くわしすぎる大図鑑』では、この協会が設立されたのは1912年とされています。

宿敵の建てたホテルを壊して、自分の名前のホテルに建て替える。コーネリアスにとっては、長年の因縁に決着をつける計画だったのかもしれません。

ところが、ベアトリスの動機は建物の価値だけではなかったようです。英語の視点からパークを読み解く『東京ディズニーリゾート 魔法のディクショナリー』によると、ベアトリスはハイタワー三世の冒険物語に魅せられ、彼を尊敬していたとされています。『くわしすぎる大図鑑』でも、ベアトリスは幼い頃からこのホテルとオーナーに憧れていた女性として紹介されています。父の宿敵に憧れた娘が、父の手からその宿敵のホテルを守ったわけです。

さらに同書では、ハイタワー三世の執事スメルディングが、ベアトリスにホテルの保存を働きかけたという噂にも触れています。主人を失った忠実な執事が、主人の「王国」を残そうとしたのだとしたら……。ツアーの裏側には、親子の対立だけでなく、いくつもの思いが重なっているのかもしれません。

読み解き4:7月のインタビュー

2006年に出版された公式本『海の絵本』には、ツアー開始前の1912年7月を舞台にした読み物が収められています。主人公は、コーネリアスの新聞社で働く記者マンフレッド・ストラングです。

ストラングは、1899年の事件の夜、駆け出しの記者としてホテルのパーティー会場にいました。落下したエレベーターの扉がこじ開けられたとき、中に人の姿はなく、像だけが床に転がっていたのを見ています(なお、パーク内の掲示板の説明や『くわしすぎる大図鑑』など新しい公式資料では、残されていたのはフェズ帽と像とされています)。そのためホテルの呪いを信じ、保存やツアーには反対の立場でした。

インタビューで明らかになるのは、ベアトリスもあの夜ホテルにいたこと、そして協会がホテルを1週間かけて調べ、構造上の問題はないと判断したことです。さらにベアトリスは、ツアーの最後に業務用のエレベーターで最上階へ案内するつもりだと語り、ストラングを驚かせます。

読み解き5:9月、ツアー開始

こうして1912年9月、ニューヨーク市保存協会による見学ツアーが始まりました。ハイタワー三世のコレクションを見学しながら、最上階にある彼の部屋を目指すツアーです。

ここで、私たちの体験とつながります。アトラクションで乗り込むあのエレベーターこそ、ベアトリスが語った「最上階へ向かう業務用エレベーター」なのです。ストラングが「狂気の沙汰だ」と止めようとした、まさにその場所に、私たちは乗り込んでいることになります。

ちなみに、業務用のエレベーターなのに、なぜベンチのような座席があるのか不思議に思った人もいるかもしれません。公式ブログによると、この座席はニューヨーク市保存協会が、ゲストが最上階へ向かうあいだくつろげるようにと、公園のベンチを利用して設置したものだそうです。ここにも、ツアーを主催する協会の存在が隠れているわけですね。

もうひとつ小ネタを紹介します。東京ディズニーシーでは、関係者専用ドアの表記もエリアの世界観に合わせて書き分けられています。たとえばマーメイドラグーンのドアには、「MERFOLK ONLY」(人魚族専用)と書かれています。

タワー・オブ・テラーの館内にある関係者専用ドアは「HOTEL STAFF ONLY」。今ツアーを運営しているのはニューヨーク市保存協会のスタッフですが、建物の設備はホテルハイタワー時代のままなので、ドアの表記もホテルのスタッフ向けのまま残っているわけです。座席は協会が用意したもの、ドアはホテル時代のもの。見比べてみると、1899年までのホテルと1912年のツアーという2つの時代が、同じ建物の中に重なっているのがわかります。

ファンの間で知られている話(未確認)

ファンのあいだでは、次のような出来事も語られています。

  • 1912年5月、家を出たベアトリスが、保存協会の設立を思い立つ
  • 1912年6月5日、ニューヨーク市保存協会が発足する
  • 1912年8月、ベアトリスがストラングをツアーに招待する
  • ツアーの開始日は9月4日(アトラクションの開業日と同じ)

これらは、2006年のアトラクション開業時に公開された公式特設サイトが元になっているとされます。ただ、特設サイトはすでに閉鎖されていて、ウェブの保存サービスでも本文は確認できませんでした。この記事では確認できた範囲だけを年表に載せ、これらは参考として紹介するにとどめます。

次回予告

次回は時計の針を巻き戻して、ハイタワー三世の半生と、1899年12月31日の夜に何が起きたのかを追いかけます。

もっと詳しく知りたい人へ

この記事の年表は、おもに次の2冊を参考にしています。タワー・オブ・テラーの物語をもっと深く知りたい人は、ぜひ手に取ってみてください。

出典一覧

  • パーク内のプロップス(筆者撮影)
  • 東京ディズニーリゾート公式サイト「タワー・オブ・テラー」アトラクション紹介ページ
  • 東京ディズニーリゾート公式ブログ(2021年8月26日、2021年9月3日ほか)
  • 東京ディズニーリゾート公式携帯サイト「タワー・オブ・テラーの謎」(2013年時点の保存版)
  • 講談社編『海の絵本』(講談社、2006年)
  • 講談社編『もっと知りたい!東京ディズニーシー くわしすぎる大図鑑』(講談社、2025年)
  • 『東京ディズニーリゾート 魔法のディクショナリー 英語と文化の深掘りガイド』(講談社、2023年)
  • ローズとベアトリス・ウッドの関係:James Cameron『Titanic: James Cameron’s Illustrated Screenplay』の記述(Yahoo Finance(Town & Country転載・英語)、Wikipedia「Beatrice Wood」で確認)

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